蜻蛉日記の「うつろひたる菊・なげきつつひとり寝る夜・町の小路の女」の解説と問題を無料で閲覧・ダウンロードすることができます!
蜻蛉日記とは
「蜻蛉日記」は平安時代中期の974年ごろに書かれた女流日記文学です。(源氏物語より前)
女流日記文学とは、平安時代の女性貴族によって書かれた日記の総称です。仮名文字で書かれていたり、和歌が多く含まれているなどの特徴があり、「紫式部日記」や「更級日記」が挙げられます。
作者は藤原道綱母(本名は不明)になります。藤原道綱母は、摂政や関白として活躍した藤原兼家と結婚し、藤原道綱を産みます。和歌の名人で、中古三十六歌仙の1人として知られています。有名な「歎きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」という句は「小倉百人一首」にも採用されています。
藤原兼家・・・藤原道長の父。当時一夫多妻制を採用しており、妻が子を産むと浮気をする癖があった
「蜻蛉日記」は上・中・下巻の3巻構成で、954~968年のできごとが上巻、969~971年が中巻、972~974年が下巻に書かれています。
内容は作者の浮気する夫への不満や、結婚生活への不満などが書かれて、全体的に負のオーラを纏っています。
同じ時期の作品として、「大和物語」や「平中物語」などが挙げられます。
古文常識「平安時代の結婚生活」
平安時代は「通い婚」や「妻問婚」と呼ばれる、夫が定期的に妻の実家に通い、そこで慎ましく愛を育むのが一般的な結婚生活とされました。夫が妻の元へ通うのにも決まりがあって「夜に通って朝に帰る」というのが通例で、普段は夫婦は別々の場所で暮らしているというのが当時の常識でした。
「うつろひたる菊」の大まかな内容
9月ごろ、結婚相手である兼家が他の女に宛てた手紙を発見します。道綱母は驚き、手紙を見たことを知らせるため和歌を書きます。
3日連続で、来ないことがあり、不信感が高まった道綱母は、外出した兼家を尾行するよう使用人に頼みました。思った通り、町の小路に車を止めた(他の女に会っていた)ことを知り、悲しんでいる中、兼家が帰ってきました。門を開けずにいると、兼家はまた、別の女のところに行ってしまいました。
このままではよくないと感じた道綱母は、和歌で気持ちを伝え、その返事が返ってきたが、不愉快な思いは消えなかった。
原文
さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもと遣らむとしける文あり。あさましさに見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
うたがはし ほかに渡せる ふみ見れば ここやとだえに ならむとすらむ
など思ふほどに、むべなう、十月つごもりがたに、三夜しきりて見えぬ時あり。つれなうて、「しばし試みるほどに」など、気色あり。
これより、夕さりつかた、「うちのがるまじかりけり」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむとまり給ひぬる。」とて来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二日三日ばかりありて、あかつきがたに門をたたく時あり。さなめりと思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。
つとめて、なほもあらじと思ひて、
なげきつつ ひとり寝る夜の あくるまは いかに久しき ものとかは知る
と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊に挿したり。返りごと、「あくるまでもこころみむとしつれど、とみなる召使の、来合ひたりつればなむ。いと理なりつるは。
げにやげに 冬の夜ならぬ まきの戸も おそくあくるは わびしかりけり 」
さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたり。
しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや。
現代語訳
さて、九月ごろになって、出て行ってしまった時に、箱があるのを手なぐさみに開けて見ると、他の女に届けようとした手紙がある。驚きあきれて、見てしまったことだけども知らせようと思い、書きつける。
疑わしいことです。他の女性に送る手紙を見ると、ここへ来ることは、途絶えようとしているのでしょうか。
などと思ううちに、思った通り、十月の末ごろに三夜続けて来ないときがあった。素知らぬふりで、「しばらく試しているうちに。」などというそぶりである。
ここから、夕方ごろ、「内裏に逃れられない用事があるのだ。」と出かけるので、不思議に思って、召し使いをつけて見させると、「町の小路にあるどこそこに、お止まりになりました。」と言って帰って来た。思った通りだと、とても情けないと思うけれども、どう言えばいいかわからないでいるうちに、二、三日ほどたって、夜明け前に門をたたく時があった。そのようだ(帰ってきた)と思うが、気が進まなくて、開けさせないでいると例の家と思われるところに行ってしまった。
翌朝、このままではおれまいと思って、
嘆きながらひとりで寝る夜が明けるまでの間がどれほど長いものかおわかりですか(、いえわからないでしょう)
と、いつもよりは体裁を整えて書いて、色があせた菊に挿した。返事は、夜が開けるまで待ってみようと思ったが、急な召し使いが来てしまったので。(怒るのは)全くもっともなことですよ。
全く本当に、冬の夜ではない真木の戸でも遅く開くのはつらいことだなあ。 」
それにしても、全く不思議なくらい、そしらぬふりをしている。
しばらくは、目立たないように、「宮中に。」などと言い続けるべきなのに、ますます不愉快に思うこと、この上ない。
解説(ポイントのみ)
①さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもと遣らむとしける文あり。
「九月」は「ながつき(長月)」と読む。出で「に」は連用形接続なので「完了」と判断する。「ば」は已然形接続なので「順接確定」。ここでの「人」は「他の女」を意味する。「む」は「意志」。
②あさましさに見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
「あさまし」は「驚き呆れる」を意味する。「だに」は副助詞で、「~」だけでもと訳す。「れ」は消去法で「受身」と判断する。
③うたがはし ほかに渡せる ふみ見れば ここやとだえに ならむとすらむ
「ば」は已然形接続なので「順接確定」。「や」は疑問の係助詞で結びの語は「らむ」。「うたがはし」には「疑う」の一部と「橋」という意味、「ふみ」には「手紙」と「踏む」の2つの意味がある(掛詞)。
④など思ふほどに、むべなう、十月つごもりがたに、三夜しきりて見えぬ時あり。つれなうて、「しばし試みるほどに」など、気色あり。
「なべなく」は「思った通り」と訳す。「十月」は「かんなづき(神無月)」と読む。「三夜」は「みよ」と読む。「見ゆ」はここでは「来る」を意味する。「ぬ」は未然形接続なので「打消」と判断する。「気色」は「表情・機嫌」を意味する。
⑤これより、夕さりつかた、「うちのがるまじかりけり」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむとまり給ひぬる。」とて来たり。
「これ」は道綱母がいる場所を表す。「内裏」は「うち」と読み、宮中を表す。「けり」は会話文の最後なので「詠嘆」と判断。「ば」は已然形接続なので「順接確定」。「小路」は「こうじ」と読む。「なむ」は強意の係助詞で、結びの語は「ぬる」。
⑥さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二日三日ばかりありて、あかつきがたに門をたたく時あり。
「む」は文中にあるため「婉曲」と判断する。「で」は否定を意味する。
⑦さなめりと思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
「さまめり」は「さ+なんめりが変化したもの」で「そうであるよう」と訳す(今回は主人が帰ってきたこと)。「ものし」は「行く」、「つとめて」は「翌朝」を意味する。
⑧なげきつつ ひとり寝る夜の あくるまは いかに久しき ものとかは知る
「あくる」には門を「開ける」と夜が「明ける」の2つの意味がある(掛詞)。
⑨と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊に挿したり。
「例」は「普段」という意味。「うつろひ」は「色褪せた」ことを意味し、兼家の愛情が自分から離れていく様を表現している。
⑩返りごと、「あくるまでもこころみむとしつれど、とみなる召使の、来合ひたりつればなむ。いと理なりつるは。
「む」は「意志」の助動詞。「ば」は已然形接続なので「順接確定」。
⑪げにやげに 冬の夜ならぬ まきの戸も おそくあくるは わびしかりけり 」
「冬の夜」は⑧の和歌で詠まれた、夜が明けるまで長いことから連想されている。「あくる」には門を「開ける」と夜が「明ける」の2つの意味がある(掛詞)。
⑫さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたり。
「ことなしぶ」は「何もなかったようにふるまう」を意味する。
⑬しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや。
「ぞ」は強意の係助詞で、結びの語は「限りなき」。
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蜻蛉日記「うつろひたる菊・町の小路の女」 読解問題②
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