更級日記の「物語(源氏の五十余巻)」の解説と問題を無料で閲覧・ダウンロードすることができます!
更級日記とは
「更級日記」は平安時代中期ごろ、菅原孝標女によって書かれた日記文学です。
学問の神様で知られる菅原道真の子孫で、「蜻蛉日記」を書いた藤原道綱母と親戚関係にあります。
菅原孝標女は本名がわかっておらず、菅原孝標の次女だったため女(むすめ)と呼ばれています。
内容は、1020年(孝標女が13歳のとき)に父 菅原孝標の上総での任期が終わり旅立つところから、夫の橘俊通が亡くなり孤独な生活が始まるまでの回顧録です。
「更級日記」の由来は「古今和歌集」の一首から引用されたとされています。
同じ時期の日記文学としては、「蜻蛉日記」「御堂関白記」「紫式部日記」などがあります。
「物語・源氏の五十余巻」の大まかな内容
身近な人の死でふさぎ込んでいたところ、母や伯母の配慮で「源氏物語」などの物語を手に入れ、誰にも邪魔されず読みふけります。その喜びはこの上ないもので、昼夜を問わず没頭します。しかしその一方で、仏道を勧める夢を見ても耳を貸さず、物語の登場人物のように美しくなれると空想する自分の考えが、今思えば浅はかであったと反省しています。
原文
かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せ給ふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず。誰もいまだ都なれぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へと、心のうちに祈る。親の太秦にこもり給へるにも、ことごとなくこのことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものを奉らむ。」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
はしるはしる、わづかに見つつ心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ。」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、我はこのごろわろきぞかし、盛りにならば、容貌も限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。と思ひける心、まづいとはかなく、あさまし。
現代語訳
このよう(乳母や藤原行成の姫君の死を聞いて悲しんでいる)にふさぎこんでばかりいるので、心を慰めようと、心配に思って、母が、物語などを探して見せてくださるので、本当に自然と慰められていく。源氏物語の紫の上などのところを見て、続きが見たいと思うけれども、人に相談することもできない。誰もまだ都に慣れないころなので、見つけることができない。たいそうじれったく、読みたいと思われるので、この源氏物語を、一の巻から全てお見せください。と、心の中で祈る。親が太秦にこもられるときにも、他のことはなくこのことを申し上げて、出たらすぐにこの物語を最後まで読んでしまおうと思うけど、読むことができない。とても残念に嘆き悲しんでいるときに、おばである人が田舎から上京たところへ行かせたところ、「とてもかわいらしく成長したこと。」などと、感心し、珍しそうにし、帰りときに、「何を差し上げましょうか。実用的なものは、よくないでしょう。読みたがっていらっしゃるとかいうものをさしあげましょう。」といって、源氏物語の五十余巻を、櫃に入ったままで、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいった物語を、一袋いっぱいに入れて、もらって帰るときの心地といったらたいへんなものである。
胸をわくわくさせ、少し読んでは、よくわからずにじれったく思っている源氏物語を、一の巻から始めて、誰にも邪魔されず、几帳の中に伏して、取り出して見る心地は、后の位も何になろうか。昼は一日中、夜は目が覚めている限り、明かりを近くにともして、これを読む意外のことは何もしなかったので、自然に、ぼんやりと思い出されることを、素晴らしいことだと思っていると、夢に、とてもすっきりとして美しい僧で、黄色い地の袈裟を着ている人が来て、「法華経五の巻をはやく習いなさい。」と言うのを見たけれど、人にも話さず、習おうともせず、物語のことだけを思いつめて、私はこの頃器量がよくない。もし女盛りになれば、容貌もこの上なく美しくなり、髪もとても長くなるだろう、光源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の姫君のようになるのだろう。」と思っていた心は、あさはかで呆れ果てたものである。
解説(ポイントのみ)
①かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せ給ふに、げにおのづから慰みゆく。
「たる」は連用形に接続しているため「存続」の助動詞。「む」は「意志」の助動詞。「給ふ」は尊敬語で、「筆者から母」への敬意。
②紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず。誰もいまだ都なれぬほどにて、え見つけず。
「紫のゆかり」は源氏物語のこと。「え~ず(否定語)」で不可能を意味する。「ぬ」は未然形に接続しているため「打消」の助動詞。
③いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へと、心のうちに祈る。
「給へ」は尊敬語で、「筆者から仏」への敬意。
④親の太秦にこもり給へるにも、ことごとなくこのことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、
「太秦」は「うずまき」と読み、広隆寺のことを表している。「給へ」は尊敬語で、「筆者から親」への敬意。「る」は連用形に接続しているため「存続」の助動詞。「申し」は謙譲語で、「筆者から太秦」への敬意。「む」は「意志」の助動詞。「るる」は「嘆く」に接続しているため「自発」の助動詞。
⑤をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、
「なる」は体言に接続しているため「断定」の助動詞。「たる」「たれ」は連用形に接続しているため「完了」の助動詞。「けり」は「詠嘆」の助動詞。
⑥「何をか奉らむ。まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものを奉らむ。」とて、
「か」は疑問の係助詞。か「奉ら」は謙譲語で、「をばなる人から筆者」への敬意。「む」は「意志」の助動詞。「な」は推量の助動詞「む」が下にあるため「強意」の助動詞。「給ふ」は尊敬語で、「をばなる人から筆者」への敬意。「奉ら」は謙譲語で、「をばなる人から筆者」への敬意。
⑦源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
「ぞ」は強調の係助詞で、結びの語は「いみじき」。「や」は詠嘆の間投助詞。
⑧はしるはしる、わづかに見つつ心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。
「か」は疑問の係助詞で、結びの語は「む」。
⑨昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、
「たる」は連用形に接続しているため「存続」の助動詞。「おのづから」は「自然と」という意味。
⑩そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、
僧「の」は「同格」の格助詞。「たる」は連用形に接続しているため「存続」の助動詞。
⑪「法華経五の巻をとく習へ。」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、我はこのごろわろきぞかし、
「ど」は逆接の接続助詞。「む」は「意志」の助動詞。
⑫盛りにならば、容貌も限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ、
なら「ば」は未然形に接続しているため「順接仮定条件」で、「もし~ならば」と訳す。「な」は推量の助動詞「む」が下にあるので、「強意」の助動詞。「こそ」は強調の係助詞で、結びの語は「め」。
⑬と思ひける心、まづいとはかなく、あさまし。
練習問題(PDFダウンロード可能)
問題は
①本文中にある動詞・助動詞の確認問題(品詞分解)
②読解問題
の2パターンあります。
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更級日記「物語・源氏の五十余巻」 読解問題②
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