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大和物語とは
「大和物語」は平安時代中期の951年頃に書かれたとされています。
同じ時期に書かれた作品には『平中物語』や『将門記』などがあります。
ジャンルは「歌物語」で、『伊勢物語』の影響を受けているとされているものの、
世俗的な出来事について書かれていて、様々な主人公や主題で書かれています。
約173段の小話から成り、前半は宮廷貴族の和歌詠作(有名な和歌に関する説話)について、後半は畿内や東国など様々な場所での伝承説話について書かれています。
「姨捨」の大まかな内容
信濃の国の更級というところに、若いときに親を亡くし、おばに面倒を見てもらっていた男が住んでいた。
その男の妻が嫌なところが多く、おばが年老いて腰が曲がっているのを、いつも憎らしく思っていました。それを聞かされ続けた男も、次第におばに対する態度が変わり、疎かになっていきました。
妻に「おばを山奥に捨ててきてください」と責められた男は、困って捨てることを決心してしました。
そして、月の明るい夜に、「ありがたい法要がある」と噓をつき、山におばを置いてきてしまいます。しかし、家に着くと、親のように育ててくれたことを思い出し、悲しく思い、眠ることもできませんでした。自分がしたことを後悔し、おばを連れて戻ってきました。
このことから、その山のことを「姨捨山」というようになりました。
原文
信濃の国に更級といふ所に、男住みけり。若き時に親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、この妻の心、憂きこと多くて、この姑の、老いかがまりてゐたるを、常に憎みつつ、男にも、このをばの御心のさがなく悪しきことを言ひ聞かせれけば、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。これをなほ、この嫁ところせがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、
「もていまして、深き山に捨てたうびてよ。」
とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
月のいと明かき夜、
「嫗ども、いざ給へ。寺に尊き業すなる、見せ奉らむ。」
と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。高き山の麓に住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、下り来べくもあらぬに、置きて逃げて来ぬ。
「やや。」
と言へど、答へもせで、逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てける折は、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつあひ添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。この山の上より、月もいと限りなく明かく出でたるを眺めて、夜ひと夜、寝も寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。
わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て
と詠みてなむ、また行きて迎へもて来にける。それよりのちなむ、姨捨山といひける。慰めがたしとは、これがよしになむありける。
現代語訳
信濃の国の更級という所に、男が住んでいた。若いときに親が死んでしまったので、おばが親のように、若いときから付き添っていたが、この(男の)妻の心は嫌なことが多くて、この姑(男のおば)が年をとって腰が曲がっているのをいつも憎らしく思いながら、男にも、このおばのお心がひねくれていてひどいことを言い聞かせていたので、昔のようでもなく、おばに対して、おろそかに接することが多くなっていった。このおばは、とてもひどく年老いて、腰が折れ曲がっていた。このことをいっそう、この嫁は、厄介に思って、今までよくぞ死ななかったこと と思って、よくないことを言いながら、
「連れていらっしゃって、深い山にお捨てになってください。」
とばかり責めたので、責められて困り、そうしようと思うようになった。
月がとても明るい夜に、
「おばあさんや、さあいらっしゃい。寺でありがたい法要をするというので、お見せしよう。」
と言うと、この上なく喜んで背負われた。高い山のふもとに住んでいたので、その山の遥か遠くまで入って、高い山の峰で、下りてくることができそうにない峰に、老いて逃げてきた。
「ちょっと」
と言うけれど、返事もしないで、逃げて家に帰ってきて思いめぐらしてると、(嫌なことを)言って腹を立てさせたおりは、腹が立ってこのようにしたけれど、長年親のように育て続けて一緒に暮らしていたので、とても悲しく思われた。この山の上から、月がたいそうこの上なく明るく出ているのを物思いにふけりながら見て、一晩中、寝ることもできず、悲しく思われたので、このように詠んだ。
自分の心を慰めることができなかった、更級の姨捨山に照る月を見ていると
と詠んで、また(山へ)行って、迎え連れて戻ってきました。それからあと、(この山のことを)姨捨山と言った。慰めがたいというときに姨捨山を引き合いに出すの)、この理由があったのだ。
解説(ポイントのみ)
①信濃の国に更級といふ所に、男住みけり。若き時に親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、
「信濃の国」は現在の長野県。「ごとくに」は比況の助動詞に断定の助動詞が結合したもの。「なむ」は強意の係助詞で、結びの語は省略されている。
②この妻の心、憂きこと多くて、この姑の、老いかがまりてゐたるを、常に憎みつつ、男にも、このをばの御心のさがなく悪しきことを言ひ聞かせれけば、
「たる」は連用形に接続しているため「存続」。
③昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。
「たり」は連用形に接続しているため「存続」。
④これをなほ、この嫁ところせがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、
「ぬ」は未然形に接続しているため「打消」。
⑤「もていまして、深き山に捨てたうびてよ。」とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
「いまし」は尊敬語で、「嫁から男」への敬意。「たうび」は尊敬語で、「嫁から男」への敬意。「られ」は「受身」の助動詞。「む」は「意志」の助動詞。「ぬ」は連用形に接続しているため「完了」。
⑥月のいと明かき夜、「嫗ども、いざ給へ。寺に尊き業すなる、見せ奉らむ。」と言ひければ、
「給へ」は尊敬語で、「男からをば」への敬意。「なる」は終止形接続なので「伝聞」。「奉ら」は謙譲語で、「男からをば」への敬意。「む」は「意志」の助動詞。
⑦限りなく喜びて負はれにけり。高き山の麓に住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、下り来べくもあらぬに、置きて逃げて来ぬ。
「れ」は「受身」の助動詞。「に」は連用形に接続しているため「完了」。「べく」は「可能」の助動詞。あら「ぬ」は未然形に接続しているため「打消」。来「ぬ」は未然形に接続しているため「完了」。
⑧「やや。」と言へど、答へもせで、逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てける折は、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつあひ添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。
「年ごろ」は「長年」という意味。
⑨この山の上より、月もいと限りなく明かく出でたるを眺めて、夜ひと夜、寝も寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。
「たる」は連用形に接続しているため「存続」。「られ」は「可能」の助動詞。「たり」は連用形に接続しているため「完了」。
⑩わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て
自分の心を慰めることができなかった、更級の姨捨山に照る月を見ていると という意味。「かね」は「かぬ」という補助動詞で、不可能を表す。この句は二句切れ(「つ」が完了の助動詞の終止形)で、倒置が使われている。
⑪と詠みてなむ、また行きて迎へもて来にける。それよりのちなむ、姨捨山といひける。慰めがたしとは、これがよしになむありける。
「なむ」は強意の係助詞で、結びの語は「ける」。
練習問題(PDFダウンロード可能)
問題は
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②読解問題
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大和物語「姨捨」 読解問題②
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