【言語文化・古典探究】徒然草 〜 世に語り伝ふること 〜 解説と練習問題(PDFダウンロード可能)

古典読解

徒然草の「世に語り伝ふること」(第73段)の解説と問題を無料で閲覧・ダウンロードすることができます!

徒然草 とは

「徒然草」は鎌倉時代末期の1330年頃に吉田兼好(兼好法師)によって書かれた随筆です。

清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」とともに三大随筆の1つとされ、現代においても高く評価されている作品です。

「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」という有名な一文で始まり、224段あります。

世の中は「無常(一定ではないということ)」であり、何かに執着することはよくない、という「死生観」について書かれています。

タイトルの「つれづれ」は「変化のない環境で感ずる退屈」を意味し、「草」は「書物」を意味します。

同じ時代の作品には、「増鏡」や「無名草子」などがあります。

「世に語り伝ふること」の大まかな内容

世に伝わる話は誇張や虚偽が多く、年月や距離で事実はさらに歪められる。名人評判も実見とは異なり、人は名誉や面白さのために嘘を受け入れやすい。日常の話は疑って聞くべきだが、仏神や高僧の霊験は盲信も否定もせず、ほどほどに受け取る姿勢が大切だと説いている。

原文

 世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。

 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。道々のものの上手のいみじきことなど、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は、さらに信も起こさず。音に聞くと見るときとは、何事も変はるものなり。

 かつあらはるるをも顧みず、口にまかせて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞こゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく、ところどころうちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言は、恐ろしきことなり。我がため面目あるやうに言はれぬ虚言は、人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、一人、「さもなかりしものを。」と言はんも詮なくて聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとど定まりぬべし。

 とにもかくにも、虚言多き世なり。ただ、常にある、珍しからぬことのままに心得たらん、よろづ違ふべからず。下ざまの人の物語は、耳おどろくことのみあり。よき人は怪しきことを語らず。

 かくは言へど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ。」など言ふも詮なければ、大方は、まことしくあひしらひて、偏に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからず。

現代語訳

 世に語り伝えることは、本当のことは面白くないのであろうか、多くは皆うそである。

 実際より誇張して人は物事を言う上に、まして、年月が過ぎて、場所も離れてしまうと、言いたいままに語り、筆にも書きとどめてしまうと、そのままやはり定まってしまう。それぞれの専門の道に達した名人の素晴らしいことなども、教養がない人で、その道を知らない人は、やたらに神のように言うが、道を知っている人は、まったく信じる気も起こさない。評判に聞くのと実際に見るのとは、何事も違うものである。

 すぐにばれるのも顧みず、口からでまかせに言い散らすことは、すぐに根拠の無い話とわかる。また、自分も本当らしくないと思いながら、人が言った通りに、鼻のあたりをぴくぴくさせて言うのは、その人から出た嘘ではない。もっともらしく、所々話をぼかして、よく知らないふりをして、そうではあるが、はしばしを合わせて語る嘘は、恐ろしいことである。自分にとって名誉になるように言われた嘘は、人はたいして抵抗しない。全ての人が面白がるウソは、一人「そうでもなかったのになあ。」と言ったとしても仕方がなくて、じっと聞いているうちに、証人にさえされてしまい、いよいよ定まってしまうのだろう。

 いずれにしても、嘘が多い世の中である。ただ、常にある、珍しくも無いことのままに理解しているならば、万事間違えることは無い。下々の人の語る話は、聞いておどろくような話ばかりである。教養なある人は不思議なことを語らない。

 そうはいっても、仏や神の霊験や、高僧の伝記は、そうむやみに信じないのがよいというものでもない。こういう話は世間の嘘を心の底から信じるのもばからしいし、「まさかそんなことはないだろう。」など言っても仕方ないので、大方は本当のこととして受け取っておいて、熱心に信じてはならないし、また疑い嘲ってもいけない。

解説(ポイントのみ)

①世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。

「に」は連体形に接続しているため「断定」の助動詞。「なり」は体言に接続しているため「断定」の助動詞。

②あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。

「年月」は「としつき」と読む。「ぬ」は連用形に接続しているため「完了」の助動詞。

③道々のものの上手のいみじきことなど、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、

人「の」は同格用法。「ぬ」は未然形に接続しているため「打消」の助動詞。「ごとくに」は「比況」の助動詞。

④道知れる人は、さらに信も起こさず。音に聞くと見るときとは、何事も変はるものなり。

「る」は四段已然形に接続しているため「存続」の助動詞。「さらに」は打消の語と結びつき、「まったく~ない」と訳す。「なり」は体言に接続しているため「断定」の助動詞。

⑤かつあらはるるをも顧みず、口にまかせて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞こゆ。

「たる」は連用形に接続しているため「存続」の助動詞。

⑥また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。

「に」は体言に接続しているため「断定」の助動詞。

⑦げにげにしく、ところどころうちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言は、恐ろしきことなり。

「ぬ」は未然形に接続しているため「打消」の助動詞。「なり」は体言に接続しているため「断定」の助動詞。

⑧我がため面目あるやうに言はれぬ虚言は、人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、一人、「さもなかりしものを。」

「れ」は未然形に接続しているため「受身」の助動詞。「いたく」は打消の語と結びつき、「それほど~ない」と訳す。

⑨と言はんも詮なくて聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとど定まりぬべし。

「ん」は「婉曲」の助動詞で、「む」が音便化している。「たる」は連用形に接続しているため「存続」の助動詞。「れ」は未然形に接続しているため「受身」の助動詞。「ぬ」は連用形に接続しているため「強意」の助動詞。「べし」は「推量」の助動詞。

⑩とにもかくにも、虚言多き世なり。ただ、常にある、珍しからぬことのままに心得たらん、よろづ違ふべからず。

「なり」は体言に接続しているため「断定」の助動詞。「ぬ」は未然形に接続しているため「打消」の助動詞。「ん」は「仮定」の助動詞で、「む」が音便化したもの。「べから」は「当然」の助動詞。

⑪下ざまの人の物語は、耳おどろくことのみあり。よき人は怪しきことを語らず。

⑫かくは言へど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、

「さのみ」は打消の語と結びつき、「たいして~ない」と訳す。「べき」は「適当」の助動詞。「に」は連体形に接続しているため「断定」の助動詞。

⑬「よもあらじ。」など言ふも詮なければ、大方は、まことしくあひしらひて、偏に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからず。

「じ」は「打消推量」の助動詞。「べから」は「適用」の助動詞。

問題(PDFダウンロード可能)

問題は

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②読解問題

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